こんにちは。ゆーすけです。
この記事を書いている2022年3月は、
物販とコンテンツ販売で440万円以上稼ぎました。
プライベートの友人からは、
「ゆーすけは家で楽に稼げていいな〜」とか言われます。
はっきり言って楽に稼いでなんかいません。
めちゃめちゃ努力しています。
ただ、私の人生は「努力」の連続だったので、
努力することに抵抗がないというか、努力は当たり前だと思っています。
また、その辺の「稼ぎてえ〜」と適当に言っている人よりも稼ぐことに対するモチベーションが半端なく高いです。
今回は、普段一切話すことのない、
ゆーすけの過去についてお話しします。
これを機に稼ぐことの難しさや、努力の重要性を感じてもらい、「私も頑張ろう!」と思ってもらえたら幸いです。
3分で読めるようにかなり内容を省いて書いたので、読んでいただけたら嬉しいです。
私はそこまで裕福ではない家庭に1996年8月に生まれました。
私が幼少期から親の仲は悪く、兄を含めた家族4人で仲良く話した記憶はありません。
なので、正直家族というものを今でもよく理解していませんし、15歳の時に実際に両親は離婚しています。
私は子供の頃から勉強なんてしたことがほとんどなく、小学生のときから週6でサッカーに通う典型的なサッカー少年でしたね。
親は裕福ではありませんでしたが、私のサッカーに全てをかけてくれました。
本当にサッカー選手になりたいと思っていましたし、中学校では横浜市の選抜に入っていたので、それなりにサッカーはできた方だと思います。
私の小学校の6年間はとにかくサッカーだけで、脳内は完全にサッカーのことしかありませんでした笑
中学校に入ってからも勉強なんて全くせずに、とにかくサッカー漬けでした。
平日は部活で土日は部活の試合と選抜の練習で、サッカーの服以外の私服なんて持っていたのかな?と思うレベルです笑
幼少期から両親の家庭内別居は続いていましたが、私が中2の時に両親が大喧嘩をして父親が「離婚」と言い出しました。
「ゆーすけ、〇〇(兄の名前)ちょっとこい」と言われるまで私は自分の部屋で父親の怒鳴り声を布団の中で泣きながら怯えることしかできませんでした。
両親の元に行くと、
「お父さんとお母さんは離婚しようと思う」と言われました。
あまりにもショックで、正直ほとんど何も覚えていません。
泣きながらものすごく抵抗した記憶だけはあります。
その後、どういう経緯はあったかはわかりませんが、九州に住んでいる父方の祖父が横浜に来て、
「ゆーすけが大学卒業までは離婚しない」ということで収まりました。
私は幼少期から両親が家庭内別居でしたが、
両親がそばにいる事が何よりも嬉しく、
この決定に嬉し涙をしました。
しかし、その約束はあっさり裏切られます。
半年後、中3に上がる段階で父親から、
「お父さんとお母さんは離婚することに決めた」と言われました。
毎日泣きまくって学校も行けずに、本気で自殺も考えました。
冬に使われる「設定した時間がくると電源がつく・切れる」タイマーを使って、寝ている時に心臓の表裏から電流を流せば死ねるんじゃね?と本気で考えていたくらいです。
母が家を出る日、全ての荷物を持ち出すことができず、別日にもう一度家に来て荷物を運び出すことになりました。
そのことを泥酔して帰ってきた父に話すと父は激昂し、
「クソ女」とか言い出しました。正直本気で◯してやろうかと思いました。
私は勉強が全くできない一方、兄は賢かったので、「兄のように勉強して翠嵐高校に行ってほしい」と言われてきたことを思い出し
「翠嵐高校に合格して、母を家に連れ戻してもらう」
と決心しました。
今思えば絶対にそんなことできるわけがないのですが、子供ながらに本気でした。
中2最後の模試の偏差値が3科目総合45だった私が、神奈川県立高校トップで偏差値70の翠嵐高校に合格するというのは無理な話です。
部活も全く行かなくなり、毎日学校が終わってから塾に行きました。
先生に「翠嵐高校に行くための勉強方法を教えてください」と伝え、渡された課題が多すぎて一度では持ち帰れないほどでした笑
なんせ、全く勉強せずにサッカーで高校に進む気満々だった私です。
中3の始めの段階で三人称単数がわかりません。
3年生の勉強をスタートするために、1・2年の勉強を始めるというレベルでした。
あまりにも因数分解がわからなすぎて泣きながら勉強していました。勉強はもちろん辛かったのですが、それ以外にも辛いことはありました。
兄は大学生になり、父は毎日飲んで帰ってくるので、塾から帰っても家は真っ暗という日々が続きました。
ご飯も自分で作らなきゃいけない生活が耐えられず、またも本気で自殺を考えました。
かなり悲しい少年の話に見えると思いますが、
ノンフィクションで私の中学3年生はこんな毎日でした。
悲しすぎて本当に何も覚えていないんです。
当時付き合っていた彼女が彼女の家のご飯に誘ってくれるなどのサポートをしてくれ、なんとか1年間死ぬ気で勉強しました。
そんなこんなで中3最後の1月の模試。
5科目総合の偏差値が72となり、塾の先生から「お前なら合格する」と言われて実際に翠嵐高校を受験。
結果は不合格。それでも偏差値68で毎年東京大学合格者が何人もでる私立の進学校へと進むことになりました。
1年間絶望的な毎日を過ごしたおかげで私は精神的に強くなる一方で、今でもそうなんですが、夢や希望を全く感じない、現実にさめた人間になりました笑笑
それでも偏差値45だった私が進学校に通い、
今現在予備校や塾で講師として働けているのは間違いなくこの1年間があったからです。
今となってはあれだけ泣きながらも勉強してよかったなと心から思っています。
しかし、サッカーを全くやらずに勉強した結果、高校生になった私にまたもや悲劇が来ます。
私が進んだ私立高校は文武両道の高校でサッカー部もそれなりに強かったです(最後の夏は県ベスト4)。
サッカー部に入り、またサッカー人生を謳歌しようと思っていたのですが、私の体に異変が起こります。
1日のどこかで体が赤くなり、かゆくなり、頭痛になるのです。
しばらく原因がわからなかったのですが、部活の後や、体育の授業の後に起こることがわかりました。
しかも、ズボンや服などで隠れているところは問題なく、赤くなるのは腕や脚など、服で隠れていない部分でした。
私の体は太陽光を受けるとアレルギー反応を起こす「日光過敏症」、つまり「太陽アレルギー」の体になっていたのです。
太陽アレルギーは日本人に0.1%ほどしかおらず、今現在も治療法がない難病で、もちろん今も患っています。
先生に聞いてみると、「長年サッカーをして太陽を受けていた体が1年間太陽を浴びなくなったことで体の免疫が下がり、発症したのだと思う」と言われました。
もう絶望です。またもや死にたくなりました。
大好きだったサッカーを病気によって辞めることになったのです。
花粉症のように後天性でアレルギーを起こす人はいます。日光過敏症も同じで、特定の条件下である日突然なるそうです。
サッカーをやめた私には勉強しかありません。
というわけで受験勉強が始めるのです。
しかし、裕福でない親にとって、
私の私立高校、兄の私立大学の学費は
あまりにも負担が大きすぎました。
そんな親に塾のお金まで出してもらうのは無理ゲーです。
中学の時に通っていた塾を継続していましたが、無料体験的なキャンペーンが終わります。
ある日私は塾の先生からこう言われました。
「3科目で偏差値67超えると授業全額無料になる。あと少しで67だから頑張って」
今私も塾や予備校で働いているのでわかりますが、成績優秀者は塾にとって合格実績を出してくれるいわば広告塔です。
そんな広告塔は優遇して、
辞めないで維持して、数年後に広告になってもらう必要があるのです。
全額無料という言葉を聞いた瞬間、
先生に次の模試の範囲を聞いて、勉強しまくりました。
その結果3年間塾の授業料免除で通う事ができたのです。
常に授業料免除のために勉強していたので、
自ずと学力もついてきます。
父に私立大学の学費を払わせるわけには行かないので私は国立大学を受けようと決心しました。
話が長くなるのでだいぶカットしますが、
現役も浪人も残念ながら行きたかった国立大学には合格できませんでした。
そんなこんなで某有名私立大学に通うことになりました。
難関大学なので父は喜んでくれ、
学費は父が払うと言いましたが、
負担の大きさは私もなんとなくわかっていました。
私が私立高校に通ってから
明らかに父の飲み会は減りましたし、
父が料理を作ってくれることもかなり増えました。
私としては申し訳ない気持ちでいっぱいで、
絶対に自分で学費を稼いでやると決めました。
また、離婚した母は貧しく、
横浜で家賃36,000円の部屋に住んでいるとわかりました。
横浜で36,000円の部屋が想像つきますか?
女性専用のアパートなので私は行っていませんが、想像以上の部屋だと思います。母はスマホすら持っていませんでした。
だからこそ、私が稼いで母に豊かな生活をさせてあげたいという熱意がありました。
実際に今現在は母にスマホを買ってあげて、
一年後に私が田舎に引っ越すときに一緒、もしくは近くに暮らそうと思っています。
大学1年生の時に
という思いがあって私はビジネスを始めました。
今までとにかく努力してきたこと、
家族のために頑張るという思いがあり、
ビジネスでここまできました。
その辺の「なんとなく稼ぎたい野郎」には絶対に負けません。
私が今現在ビジネスでそこそこ上手くいっているのは、私に才能とかセンスがあったわけではなくて、ただ単に努力してきただけです。
元々頭が良かったわけでもありません。
むしろうんこほどできませんでした。
でもこれだけは言えます。
稼ぎたい理由が強ければ強いほど成功する
人が稼ぎたい理由は様々だと思います。
・女性にモテたい
・家族を幸せにしたい
・ブランド品が買いたい
・車が欲しい
どんな理由でも構いません。
その稼いだ先の未来を強く想像することが
何よりも強い原動力になると思います。
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